メディアの報道が何でも「煽る」調子になって久しいですが、昨今では視聴率低下という危機感があるためか、テレビメディアではそれがますます加速しています。政治的な意図が明らかでない段階の爆弾事件も「爆弾テロ」と煽り、ほとんど人間を襲わないシュモクザメであっても「サメは危険」と煽り、多少パワーのある打球を放つ男子高校生を「怪物」と煽るようなことです。広報に携わる人の中には、こうした「煽り」の手法に加担するのが大好きで、発信するメッセージを扇情的にしたがる人(やPR会社)がいますが、もうそろそろやめても良いのではないか、と思います。
高校野球の報道は夏休みの定番ですが、同じく定番の報道姿勢に「人を消費する」というやり方があります。高い成績をおさめる球児を取り上げて「スーパー高校生」とか「スター球児」として持ち上げるだけ持ち上げて、試合が終わるとそっぽを向くというアレです。まさに、時には前述のようにもはや人としてではなく「怪物」扱いをしたりもするのですが、仮に言葉のあやだとしても、そもそも頑張っている高校生に対して怪物とは、全然褒めてないというか、ひどい呼称だなぁと感じます。
すでに多くの人がSNSなどでも指摘しているように、スター選手だけに注目するあまり、その彼が所属するチームが負けたとき、つまり彼のチームを負かして勝った方が総合力では優れていたわけですが、そちらについてはほとんど取り上げ(られ)ないという事態が生じます。彼が負けてしまって残念だとか、運が悪かったのだ、という論調まで出てきたときにはただただ唖然としますが、そういうのは双方のチームと選手に対して失礼極まりないという点で報道する資質を疑いますし、対戦相手であった(勝った)チームや選手について一切の取材ができていないことが怠慢だったと早急に気づくべきです。
彼の所属するチームの他の選手たちや、異常な暑さの中で試合することを強いられたすべての高校球児たちは、皆、大なり小なり健闘したはずです。スター級の選手にスポットを当てるのは当然としても、結果的にばっさりと切り捨てられてしまった他の大多数の選手の気持ちを汲み取らない姿勢(報道する側もそれを受ける側も…)には無神経さだけが表出します。試合に負けたら、スターの彼だってバツは悪いでしょうが、周りの選手にいたってはサポートしなかったお前らのせいだと責められているようでもあり、やはりバツが悪いでしょう。高校野球で勝てるのは1チームだけです。そういう「負けた人の気持ち」に寄り添えない姿勢や言葉遣いをするのは、情報発信者としてはいかがなものかと思うのです。
この手の、「目立つ人間・業績を上げた人間にスポットを当てる」という行為は、企業でもよくとられる手法です。しかし、スターらしき素質のある人の登場の背景には、多くの「そうでもない人」の力が関与している場合が多く、そこに目を向けない情報発信者は、結局、扇情的なメディアに加担するしかなくなるわけです(そもそもそっちの、そうでもない方面が把握できていないので)。例えは良くないかもしれませんが、小○方さんの場合も個人を前面に出すのではなく、研究機関としてのレベルの高さを伝えていくべきだったのです(ダメージを小さくできるほどには、研究機関のレベルの高さを皆が知らなかった、ということが問題なのです)。
こうした目立つ人を持ち上げるやり口は、短期的には効果があってもまず長続きしないことは、この高校球児の例でも明らかです。しかし企業の広報などは特に長続きさせるべきで、そうでないと「次のネタ=次のスター級の人材は?」ということを招いて、でもスター級はそうそういないのでそっぽを向かれてしまいます。この短期戦はつまるところ、単に「このスゴい人を消費してください」と言って献上しているだけなので、長期的な広報活動には向かないのです。ズバリ、企業でいうとそれは社長であることが多いのですが…それよりも、広報では優秀な人材を含むスタッフの総力=会社の力を見せていくことに力点を置くべきだと感じます。よくあるのは、話の面白い社長はガンガン露出させるけど、交代した次の社長が口下手だったりメディア嫌いだと途端に露出が止まるというケースです。まさに長続きしない実例です。また、社外へのアピールだけではなく、社内広報の観点からも、誰彼構わず全社員が頑張っているというのはおそらく嘘なのでやめておくとしても、二番手、三番手、四番手の社員にもスポットを当てていく、さらにはそういうスター社員を陰で支える人たちの気持ちにも寄り添うような切り口を考えて情報発信されることが望まれます。
これは繰り返しになりますが、すべての人が頑張っているから讃えようという話では決してないのです。ある強力かつ強烈な印象をもたらす側面の反対側には、必ず別の側面がある、という問題設定とか意識とか思考力を持つことの重要性の話です。そういう考え方ができないと、あるひとつの目立つ情報だけに飛びついて、リテラシーは低下するばかりです。人々の情報リテラシーを向上させるには、情報発信者のリテラシーも上げる必要があるとするならば、広報は「これ、メディアが喜びそうじゃない?」とラクをして飛びついて情報発信するのではなく、その背後に埋もれた人や何かがないか、そういう目線で常にものごとを見つめていくトレーニングが必要だと思います。もちろん、目立つ人がひとりしかおらず、他には一切健闘した人はいないとわかっているならその周辺の人たちを取り上げる必要はないのですが、そもそもそういう組織ならば、そこは広報をするしないという以前に、組織としてすでにヤバいと思います。