選挙(第48回衆議院議員総選挙)ですね。
クラウドPRとその代表は、今年の9月にオフィスと自宅を調布市から八王子市に移転した関係で、今回の選挙は調布で投票を行わなければなりませんでした。転居して何日かは前に住んでいたところで投票しなければならないという制度があるようで、すでに期日前投票を済ませはしましたが、この制度、まったく意味がわかりません。
もちろん国政選挙ですから、別にどこの地域だろうが結局政党選びのようなものだし住んでる地域なんて関係ない、などと言われれば確かにそうなのかもしれませんが、特に誰からもそんなことは言われていないし、転入したばかりのこれから住む土地で自分の未来を想像しながら投票…したかったのに。実際には、すでに転出して、おそらくもう戻ることはないであろう土地の立候補者を選んで投票せよ、という訳のわからない制度に強く疑問を抱きました(なんていう制度名かも知らないし)。
という感じで、多くの人が選挙(投票)に行く意味や行かない意味をあれこれ考えておられることと思います。ただ、毎回感じることですが、あの選挙演説の足の引っ張り合いというか、他の党を貶めて自分を上に見せようとするあの浅ましいやり口はどうにかならないものなのでしょうか。投票率の低さと選挙演説の質の低さは比例しているのではないかと疑いたくなるほどです。
選挙演説の質の低さで言えば、他の悪口を言うのもそうですが、やはりダントツは「お願い」ではないでしょうか。そもそも、人にものを頼もうってときに大騒音まき散らしてどうすんのか? とも思いますが、ともかく、この「お願い」の代表格は、演説でも党首討論でも、およそ立候補者や党の幹部が「今回の選挙は大変厳しい戦いで~」とか「この厳しい戦いを何とか勝ち抜かなければなりません~」とか「今回厳しいんです! 助けてください!」などと言うことです。これには、非常に違和感を覚えます。
(いやいや、なんでアンタんとこの党が厳しい選挙戦を強いられてるからって、有権者の私らが「そりゃ大変だねー! って票を入れてあげなければいかんのか)と。選挙速報の番組などで、司会者が「今回は厳しかったですね」と言うのとは訳が違うのです。立候補している当事者本人から「(うちの)党が厳しい戦いを強いられてる(から票を入れて)」などと言われても、そんなことはこちら(有権者)には1ミリも関係がない。
有権者は「戦い」に参加しているのではなく、あくまで自分たちの暮らしを良くするために「選挙に投票する」のですから、自分たちは戦ってるんだから応援してだなんて、もはや演説にすらなっていない上に、民主主義の大前提を踏みにじっている発言でもあります(とはいえ、実際には、大変だねぇ、と思って投票する人がいるからこの手の「お願い」や「泣き落とし」が横行するのでしょうけど…)。
でもこれって、企業で言ったら「うちの会社、売り上げ落ちてきてるんで、どうか商品買ってくださいよぉ~」って消費者に言ってるのと同じです。そんな話が成立してしまうこともこの世の中のどこかにはあるのかもしれませんが(売り上げが減少したので販売中止にしますと飢餓感を煽ったりだとか)、国政選挙ではダメだと思います。普段は「政治の世界はキビシイんだ」とか威張ってる先生方が、選挙の時だけ「泣き落とし」だなんて。即刻この「厳しい戦い」アピールをする候補者や政党は切り捨てていかなければいけないと思いますが、まあ、そうすると全部の党を切り捨てることになって、また投票率が下がりそうです。
しかし…訴えたい政策も適当につくっただけのもので魂もこもっていないから、演説していてもおのずと「お願い」に走ってしまうのも仕方のないことかもしれません。心の中にブレない信念(もちろんこの場合は、選挙に勝ちたい、という信念ではなく、社会を良くしたい、という信念でなければならないわけですが)がないと、話すことも大体において適当になってしまうのは、広報の世界にいると、非常によく、透けて見えるものでもあります。
広報では「ステートメント」という言葉と概念があります。直訳すれば「声明」とかになるのでしょうが、もう訳や意味がどうこうというより概念に近いものになってきているので「ステートメント」と言ったら「ステートメント」という気もします。声明、と訳してしまうと、外部に発信する端的な言葉や文章、ということになりますが、個人的にはこれは、必ずしも外部に発表することはなくても、内部的にであっても常に検討・整理しておくべき組織や企業(個人でも)の姿勢・スタンスを自らが確認しておくもの、と捉えています。
以前、かつて広報で一緒に働いていた友人がお子さんの受験の面接でどのように話すべきかと悩んでいたので、「ステートメントでしょう」と言ったら、普通に肚落ちしてくださったようで個人的にはとても嬉しかったのですが、ステートメントはひとつかふたつで良いと思います。
タフな会見でのメディアとの質疑応答でも、事前の想定Q&Aにないような質問をされたとしても、そのひとつかふたつのステートメントに立ち返ることで、大体のことは切り抜けられるような経験則があります。この場合のステートメントは、もちろん「うわべの逃げ」ではありません。一番大事なことは何か? を自分で見つめ、認識しておくことです。企業の不祥事であれば、この先会社をどうするのか、迷惑かけた消費者に対して何をするのか、くらいのものです。先のお受験のシーンであれば、子どもにとって一番良い選択は何か、ということくらいしかないのではないでしょうか。
つまり、もっと端的に表現すれば、これは「シンプルにする」とか「基本に立ち返る」といったことと似ています。自分で決めたスタンスをブラさずに貫き通すということです。政治家はなかなかこれができなくて…というかする必要がないのでしょうけれど自分の立場さえ守れればそれで良いという人が多いので…ほとんど参照できませんが、普段の生活で困った状況に陥ったりだとか、人の悩み事を聞いているときなどに、「自分のステートメントに戻ろう」とちょっと冷静になってみると、日頃の広報活動にもとても役に立つのではないかと思いますので、ぜひ実践してみていただければと思います。
ちなみに。日本PR協会が毎年発行している「PR手帳」の「用語ミニ辞典」に、なぜかこの「ステートメント」の意味が載っていません。そこは自分たちの担当領域(自分たちがお金をもらって作り込むところ)だから顧客には教えないという意図なのか、PR業界ではあまりに当たり前のことすぎて載せていないのか…。いずれにしても、今のこのような社会であるからこそ「ステートメント」が重要だと思うので、来年バージョンにはぜひとも加えていただきたいものです。