チームでない人は「ワンチーム(One Team)」を使わないでください

ラグビー日本代表が「ワンチーム」という言葉を使ったことには大きな理由がありました。

まず人種が多様であること。それに比例して、選手ごとに体格や経歴が異なり、それまで経験してきた練習方法なども様々に異なっていたこと。これらを背景に、異なる属性の人をひとつにまとめあげるためのキーフレーズとして、「ワンチーム(One Team)」という言葉には、重要で切実な意味が込められていたのでした。

つまり「ワンチーム」とは、一見バラバラに見える、異なる属性の人々や組織が、困難な課題や状況を共に乗り越えたり、同じ目標に向かって一致団結して協力しあいながら、解決・打開・達成していくために結束を呼びかけるためのフレーズ、と解釈することができます。感情的に、ネガティブな状況をポジティブに変えようとするときに使われます。

この言葉は、外資系企業ではすでによく使われてきた言葉でもあります。国内の企業よりは外資系企業の方が、人種や国籍、性別や経歴など多種多様な「バックグラウンド(背景)」を持つスタッフが多く、会社の困難な課題に取り組む際に、異なる背景から考え方や意見も異なるそれらスタッフが団結するように「ワンチームで取り組もう」とよく呼びかけるのです。あくまでも重要なのは「異なる属性の人々で構成されている組織」だからこそ、という点です。

一方で、この言葉を何だか浮かれてはしゃいだ空気感や、かっこいい響き♪と感じる人たちの中で、毎度の恒例行事である「流行語大賞」にしようとするのは自由なのですが本来の意味に合致しない、誤用の上での濫用ほど恥ずかしいことはありません。

日本人のみで、同じような学歴で、ほとんど男性、みたいな同種の属性の人が所属する組織でこの言葉を使っても、本来の意味とは異なりますし、この言葉を使うことはすなわち、自らの組織が「今、バラバラで、一枚岩ではありません」と宣言していることに他ならないので、ドメスティックな国内企業であればあるほど逆に問題になる可能性すらあります。

まして、政治家や組織のリーダーによる「ワンチーム」の濫用や誤用は、国民や組織全体を白けさせかねないため、使用の際には慎重さが求められるでしょう。

直近では小池東京都知事が、五輪のマラソン開催地の札幌移転に反対するとの理由で「ワンチーム」を連呼していました。しかし、小池知事の使用方法は「突然IOCから酷いこと言われて困惑している。そんなこと言ってくるIOCは信頼できない! でも私たちは「ワンチーム」なのだから信頼関係がなければ大会の成功などありない」みたいな、非常に嫌味を含んだ、IOCの批判が目的でこの言葉を選択したのに過ぎません。

確かにネガティブな状況ではあったでしょう。しかし、オリンピックの関連組織というのは、IOCが上位でJOCは下部の組織というだけのことですから、今回のケースでは単に下部組織の者が上層部にただ文句を言っただけ、という構造になりました。この状況で「我々はワンチーム」と言っても、会社の支社の社員が本社の社長に「我々はチームでしょう?!」と直訴しているようなもので、その社員だけが恥ずかしいならともかく、都のトップの発言としてはもう目も当てられないのです。この場合であれば、JOCと札幌市が「ワンチームで成功させましょう」が正しいのです。

またマラソンの札幌開催が確定した時には、日本のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーである瀬古利彦氏が「札幌で優勝できるようにワンチームでやっていく」と述べましたが、マラソンは個人競技であってチーム戦ではないので、そもそも違います。選手を強化する側の人たちにとっては、日本人選手の一人でも多くにメダルをとらせたいとの想いで「日本人選手たち=チーム」と勝手にまとめただけかもしれませんが、いずれにしてもメダルを獲るという困難を強いられるのは選手たちで、選手にしてみれば自分との闘いでしかないので、やはりちょっといろいろ間違っている気がします。

このブログで毎回同じまとめになっているのが悲しいですが、また繰り返すと…PR業界では特に、なんか流行ってる感じの言葉を、すぐさま時流に乗った雰囲気で使いたがる傾向があります。しかし「ワンチーム」という言葉は、そういうものに飛びつきたがる人ほど注意が必要ということを教えてくれています。誰でも、いつでも使えるわけではない言葉を無理やり流行語にしようとする人たちにも、もう少し見識を深めていただきたいなとお願いしたいです。

<12月2日追記>
案の定…「One Team」が流行語大賞に選ばれました。もう言うべきことはありませんが、ひとつだけ、堀江選手の言葉を引用します。「言葉を使えばワンチームになれるというわけではない。どういうふうにワンチームにするかが大事で、中身をしっかり考えて使ってほしい」