「流行」という概念は今も存在しているか②

表現が難しいのですが、例えば「アナ雪」は映画で、映画自体がヒットする、流行する、ということは普通に起こります。しかしそのタイトルや映画内のセリフや歌は、決して「新しい言葉」ではない以上、この映画がヒットしたからといって、その中の歌がヘビーローテーションされたからといって、それを「流行語」としてくくって良いものか? という大いなる疑問が残るのです。

あくまでも観客を楽しませるために作られた世界の中のことですから、映画の中に出てきた服を着たい! 登場人物と同じ様に踊って歌いたい! と思う子供が続出しても、その映画の中から新しい言葉が生まれるという現象は可能性としてはかなり低い。にも関わらず、「ありのままで」が流行語として賞を授与されると、少なくとも自分の周囲で「ありのままで」などと日常的に言ってる人は見たことがないし、どうしたものかなぁ、と思ってしまいます。

基本的にすべてそうです。そもそも「五郎丸」に賞をあげるとかあり得ない、と思います。それは人名です。流行語だったり新語だったりして良いはずがありません。審査員の思考が停止しているのか、麻痺しているとしか思えません。しつこいようですが、何せ人名ですから。それでも賞をあげてしまえるのはどうにも「上から目線」な気がしてなりませんが、この「上から目線」という言葉はこれまでも流行語に選出されていないようなので、やはりバツが悪くて選べなかったのでしょうか。

他にも天候や事件、事故、ニュースの言葉、政治家の言葉、政治的な言葉、お笑い芸人の一発フレーズ、スポーツ用語、スポーツ選手の言葉、新製品、新サービス、ファッションスタイルなどの固有名詞、あと人名…と、新しい言葉を見つけ出すというより、世の中で一時的に話題になったものを「流行語」と称して賞を授与=人の褌で相撲をとっている、ようにしか見えないのです。

それよりも流行語としての可能性を感じられるのは、まだ「格差社会」や「派遣切り」、「ブラック企業」などでしょうか。これらとて新書のタイトルや内容から引き出してきたものばかりで、しかも間違いなく流行してはいけないものばかりではありますが、まだ「新しい言葉」という印象は受けることができます。主催者や選考される方々が「流行とは何か?」「新しい言葉とは何か?」という議論を、毎年の選考会の冒頭に握り直す必要があるのではないでしょうか。授賞式ありき、話題作りありきで選定しているのは明らかではありますが、それは結果的に、もはや流行がない、と自ら宣言しているのと同じになってしまうようにも思えます。

ではどうしたら良いのか? 「流行語」としての実証性が低い以上は、その様式から変えていく必要があると思います。本当にこの先も残していきたいと思える言葉(新語)とは何か? 実際に日常的に使っている言葉(流行語)、使って欲しい言葉(新語・流行語)、こうしたものを年に1回、1つだけ選出していく作業。日本漢字能力検定協会が発表する「今年の漢字」みたいになってしまうかもしれませんが、ズバリこれ、というものを1つ打ち出していくことで、言葉を扱う人たちの集まりとしての賞賛も得られるかもしれませんし、人々の関心や注目も集められるようになってくるのではないでしょうか。特に新語の場合は単年で考えるのではなく、言葉が発生してから浸透するまでの期間をある程度長めに見て、浸透したと判断されたら賞を授与する、ということで全然良いのではないだろうか? と思います。(つづく)