「流行」という概念は今も存在しているか③

ごくごく私的に流行して欲しいと思っている言葉、もう日本語に組み入れても良いのではないかと常々思っているのは、テレビ東京の「Youは何しに日本へ?」という、日本に訪れる外国人をひたすら取材しまくるという番組における、スタッフが彼ら外国人のことを等しく呼称する際の「YOU(ユー)」という言葉です。

日本に住む外国人の中には、日本人が彼らを指して「外人(ガイジン)」と呼称することを嫌う人は多く、私が以前勤務していた外資系企業でも「(外国人のことを)ガイジンって言っちゃダメよ」と上司に注意されたことがあります。基本的にハラスメントというのは、言った本人がどう思っているかなどは一切無視して良く、言われた方がイヤだ、不快と感じたらその時点でハラスメントになりますので、異国の地で俗称で呼ばれることの不愉快さは、例えば米国旅行で「ジャップがいるぜ~!」みたいなことを言われたらと想像してみて、それ以降は「本社の方」という感じに変えました(本社が海外にあったので。ちなみに普通にNHKとかでも「外国人の方」とよく言いますが、この「方」と「人」は同じ意味で重複ではないかと思うのですがどうなのでしょうか)。

しかし、この「YOU」という呼称は意外に便利です。なにせ意味としては「あなた」。そもそも、彼らを街中で見かけた際などに「外国人がいるね」などと言ったり思ったりするのは、まず日本人くらいではないかと思うのですが、実はどこの国の人かまではわからないわけです。アジア人なら、中国人なのか韓国人なのか判別が難しい上に、日本人かもしれません。見た目がアングロサクソンでも実は帰化した日本人かもしれないのでその場合はどうするのかとか、観光客なのか住んでいる人なのかもわからない。だからやっぱり、街中を歩く人に対して「外国人がいる」とか「あの人は何ジンだろう?」と考えたり言ったりする必要はないのだと思いますが、どうしたって島国根性から、彼らを何か呼称しなければならないシチュエーションもあるかと思うのです。

そこで「YOU」です。「あなた」。明快です。差別したり区別するニュアンスはほとんど感じられません。自分以外の人はすべて「あなた」であることはこの世界の真実なわけですし。もちろんこれは、本来は相手と対面した際に言う言葉です。しかしそれをあえて日本人が、日本人以外の人に対して「ウチの職場のYOUがさー」などのように使うのは、間が抜けているようにも感じるかもしれませんが、一方でこれまで外国人をあまり受け入れてこなかった日本が、ようやく彼らを受け入れることができるようになったことまで表せるのではないか。これを歓迎する意味においても、外国人を見たら「YOUがいる」と思ったり口に出すことはOK、外国人に対しては本来の「あなた」という意味で使えるのはもちろん、日本人の間では「YOUがいるね」と確認しあうのは現代用語の使い方としてはアリですよ、ということにすれば良いのではないか。つまり、本来の使い方とは用例が異なるけれども、新しい言葉の用例として外国人を「ユー」と呼称するのは十分に可能であり、日本に来る外国人観光客の増加が話題にもなっていることもあわせて考えると、まさにこの言葉こそ新語・流行語大賞を授与すべき言葉のひとつだとさえ思えます。世相を表す使命感のようなものも、十分に満たせると思われます(しかし個人的には、外国人観光客の増加はただ単に円が安いから、というだけの理由だと思うのですが…)。

このような実用例=日常的に今後も使っていけそうな言葉を選んでいない、ただ一部の人間(特にメディア)が使っていたような言葉を並べられてもシラケるのは当然です。間違っても人々の口にも話題にも上ってこない「一億総活躍社会」などというものを入れても、誰も前に進めない、年が越せない! とさえ感じます。

ひと昔前のように、誰もがテレビを視聴し、同じ新聞や雑誌を読んでいた時代なら、皆が同じフレーズを見聞きしてそれを日常で使うこともあり、それが流行語と定義できたかもしれません。しかしこの現代では、ライフスタイルの多様性が本当に多様に分化され、それに伴い、既存メディアの力が以前よりもかなり衰えてきて、マスコミという言葉もほぼ消滅しかかっています。触れるメディアも人それぞれであり、皆が同じものを見て、同じことを感じるということは減ってきている時代です(このことは広報業界も真剣に考えなければならない課題だと思います)。

こういうことを言うと「そうはいってもいまだ大手新聞やテレビの影響力は大きい」と言う人がいます。確かに今はそうかもしれません、「今」は…。しかし例えば音楽のヒットチャートではすでにCDの売り上げはものさしにはなっていません。テレビの視聴率も、多くの人はHDDに録画するため完全に無意味化しています。今回とりあげた「新語・流行語大賞」だけではなく、大晦日の「紅白歌合戦」の出演者や演目を見ても、どこもかしこも続けることにもう疲弊しているというか、息も絶え絶えな印象があるのは2010年代も半ばを越えて、下期に差し掛かる現在のタイミングで不思議なことではないのかもしれません。

もはや既存のシステムや様式が経年劣化していることは明らかで、まして、人々の多種多様な1年の暮らしを、たかだか10個程度の言葉を羅列して振り返ることなどできないのです。そうではなくて、現在の、日本人の多様なライフスタイルの中でも共感の得られる言葉を毎年ただひとつだけ選出する。それこそが、現代の日本人にとって受け入れ可能なイベントになり得るのであり、そしてまたそのような機会を提供することで、人々が年末に一瞬だけ過去を振り返り、ひとつになれる瞬間にもなり得るのではないでしょうか。そして年が明けたらまたみんな前を向いて歩き出す。そんなイベントに「変えていくべき」では、と感じました。(了)