以前、ある患者団体の主催するイベントのお手伝いをした際に、講師をお願いした料理研究家の先生のご自宅で打ち合わせをする機会がありました。その中でふと先生が「日本人の味覚」を話題にされ、「今はみんな、おいしいって言う時に、このお肉が柔らかくておいしいとかって言うでしょう? あれは味覚じゃないのよね」と仰って、しばらく、うなずくのも忘れるほどの衝撃を受け、言葉も出ませんでした。
言われてみれば確かにそうだと思うのですが、はっきりと指摘されるまでは考えもしないことでしたので、本当にびっくりしてしまったのです。驚いた理由はまず、これは現代人の味覚に関するとても重要な視点・指摘であり、かつてあまり指摘している人に出会ったことがなく新鮮だったということ。もうひとつは、現代の私たちは、自分の身体で感じていることさえもはや上手に表現できなくなってきている…広報業界にいると、変わっていく言葉の意味や使い方には敏感になりますが、そういうことではなくてもっと別次元のところで、もっと深刻な事態…これって、言葉どころか身体感覚そのものが変容してしまっている、つまり身体感覚が麻痺しているということなのではないだろうか? と感じたからです。
改めて整理するまでもなく、「やわらかい」とは食べ物を噛んだ時に口中で感じる食感です。一方、私たちが味覚として舌の上で「おいしい」と感じているのは、塩分や糖分やだしといった「旨み成分」に由来するもの。もちろん、食べ物が柔らかいと、噛んだ際に口中でほぐれやすくなり、味覚を感じる舌全体で「旨み」を感じやすくなり、柔らかくておいしいものはよりおいしく感じる、ということはあるようです(熟成魚を取り上げた情報番組で専門家が言ってました)。しかし少なくとも、柔らかいことが即ち味覚としておいしく感じているのとはまったく違う、ということには疑いの余地もないことがわかります。
それで、おそるおそるネットで「やわらかくておいしい」で検索してみたのですが…想像以上にこのフレーズは、ありとあらゆる食文化のシーンで、すでに濫用され尽くしている言葉になっていました。某クッキングサイトの個々のレシピタイトルを筆頭に、レストランや料理本関連のサイトなどなど。当然、テレビバラエティの食レポでも、もはや濫用どころかそれを言わないと「おいしくないと視聴者に勘ぐられるから言わないわけにはいかない」という域に達していて、何を食べてもほぼ100%近くの確率で「やわらかい〜」とか「これ、フワっフワでおいしいですね!」などと言っています。普通に外食していてもあちこちから「やわらかい〜、おいしい〜」というセリフが耳に入ってきます。刺身や豆腐であっても「やわらかくておいしい」と言う人まで出てくる始末で(実話)、もうメレンゲを口にして「コレ、やわらかいね!」と言う人が出てくるのも時間の問題かもしれません。(つづく)
確かに、柔らかい、は味覚ではないですね…いつからか、五感の表現をずらして使うのがプロモーションでは流行り始めた気がします。糸井重里の「おいしい生活」や「“光”。ひろがる。ひびきあう(NTT)」とか…そこに違和感を覚えさせてコピーを際立たせるというのは手法としてはあるのでしょうが、大分使い古されていて、それこそフィットした差さり方をする連語を見つけるほうが難しい時代だなぁと感じています。
コメントありがとうございます。
言葉とかテキストというものは、もはや添え物でしかないのかもしれません。食レポなんか見ていても、本当においしいもの食べたんだな〜、と視聴者として感じ取れるときというのは、そのタレントの顔もマジなんですよね。言葉(発言するコメント)ではない、という気がします。顔に本当の気持ちが現れるとき、嘘の言葉ほど虚しいものはないです。「いかなる理由があろうとも、テロは断じて許せない」とかね。そんなのほぼ全国民が思っていることなのにわざわざ口にされても、逆に何も言ってないのと同じというか。本当に許せない時って人はきっと、怒りの表情のまま無言になるのではないかな、とか…。無用な発言は炎上を招くのでみんな無難なことしか言わなくなったことが、その「使い古し感」にもつながっているのかもしれません。