「やわらかくておいしい」は、おいしい?②

とはいえ、そういえば自分でも言ったことは…確かにあるので、今後は、せめて自分が何かとてもおいしいお肉を食べた時には「柔らかい」と「おいしい」は使い分けたいなあ、と思います。肉を柔らかくするのも料理人の仕事かもしれませんが、ただ柔らかい肉を仕入れただけのことであれば、ソースなどの味を褒められずただ素材の柔らかさのみに言及されたその料理人が傷つくかもしれませんし、何より自分の味覚表現の乏しさをひけらかすこともないと思えるからです。

しかしそれ以上に気をつけたいな、と思うのは、身体感覚の麻痺の可能性です。食品偽装の問題はもはや日常茶飯事と言えるほど頻発していますが、そのたびに行われる街頭インタビューの回答者は、等しく「あの会社(やブランド)を信用していたのに」などと言います。もちろん、健康被害が出るレベルの偽装は論外としても、非ブランド品をブランド品と偽ったケースなどでは、その「騙された」状況に対してひたすら怒っているわけで、発覚しなければ永遠に彼らはそれをブランド品と信じていたのに、と自ら表明しているわけです。逆に考えれば、これだけ食品偽装が出てくる以上、すべての販売品(自作でないもの)は、そのラベルを信用できるか消費者にはほぼわからないわけですから、特に食品であればもう自分の味覚を鍛えまくって、自分を信じていくしか自衛策はないようにも思えてきます。

身体感覚といえば、最近、街を歩いていて人とぶつかりそうになることが急増しています。これは明らかに多くの人が「前を見ていない(前方に注意を払っていない)」ためです。こちらが道の端を歩いていても、向こうから歩いてきたり自転車に乗っている人が平然と突っ込んできてぶつかりそうになることがしばしばあります。スマホを見ながらだからだろう、と最初は決めつけていましたが、老若男女問いませんし、スマホを見ていない人でも同様なので、おそらく、視界に入ってくる情報を脳内で判断できていないのか、避けるという動作の指令が欠落しているのでしょう。ということは、スマホを見ているから前を向いていないのではなくて、前を向いて注意する必要が(それらの人にとっては)もうなくなっているからスマホを見ながら歩くことができるというか。これも、身体感覚の麻痺の事例と言えるでしょう。

こうした人類の身体感覚の変化には、広報に携わる私たちも対応していく必要があるように感じます(こじつけではなく、真剣に)。つまり、人々の「感覚のズレ」をあらかじめ織り込んで、メッセージ発信する必要があるということです。料理や食材関連のPRをするとき「柔らかくておいしい!」というフレーズを乱発したくなるのは容易に想像できます。「スマホのながら歩きはやめましょう」というキャッチフレーズも言うだけなら簡単です。そうした安易でキャッチーなフレーズは、使う側にとっては本当にラクだし、クライアント的にもメディア的にも受けが良く、だからそういう言葉をテキトーに選んでお茶を濁すという心理は働きがちです。しかしもうそろそろ、そういうメッセージ発信者の思考停止はやめて、本気で社会を良い方向に変えていけるようなメッセージ発信をする広報活動に変えていくこと、もしくはその方向性で物を考えることにシフトしていくことが、これからのPR業界においてこそ大切なことと思えてなりません。それこそ、この食品はなぜ「柔らかくておいしいのか?」ということ、なぜ「スマホのながら歩きはダメなのか?」を伝えていくようなことです。

見た目のわかりやすさに依存せずに抗いながらも、目の前の案件(それがクライアントからの仕事であっても)を素材にしつつ、社会を変えていこうという意思を持った、そんな広報活動が必要な時代になっているのではないかと、2010年代の折り返し地点をとうにすぎた今、切実に感じています。(了)