「平成最後」のブログ更新…というわけではありません。

クラウドPRは、この2019年1月23日で、おかげさまで創立5年に突入しました。

来年、2020年1月で5周年(丸5年)となりますので、まだまだ歴史は浅くてもひとつの「節目」を迎えることには変わりなく、これから少し先のことを考えてみる良い機会でもあると感じています。

広報にまつわるリテラシーをブログのテーマにしますと以前宣言していたのですが、更新をサボっているうちに、メディア/ネットリテラシーに言及する書籍や論調は増加傾向にあり、他の方が熱心に発信されているので、ここではリテラシーだけをテーマにしなくても良いように考えを改めました。

まず昨年から今年にかけての状況として、メディアでは、やたらと「平成最後の」という枕詞が使われました(現在進行形)。枕詞というのは本来、意味を持たない言葉だそうですが、それがピッタリ当てはまるのではないかというくらい、ほとんど深い考えもなく、無駄に濫用されているだけの気がしています。

普段はほとんど気にも留めないことを、節目のタイミングの時だけ大騒ぎするというのはメディアの特徴かもしれません。しかしこの元号の変更が、社会に暮らす大半の人々の日々の暮らしにおいてどの程度影響を及ぼすのかは大して検証すらされていないようで、実際にはやはり影響はそれほどないのでしょう。

いえ、元号変更に関連する調査は、マーケティング業界などではなされているかもしれません。しかし「元号の変更に関心がありますか?」と質問で聞かれれば「それは多少は」と回答するのが人の常です。日本人が回答する場合は特に。

また「現在、あなたの生活における関心事や影響を及ぼす重要な事柄は何ですか?」とフリー回答させるのではなく(それだと元号変更はまず上がってこないので)、複数の選択肢を並べ、つまりある程度誘導し、その中のひとつに「元号の変更」が混ぜられていれば何となく回答してしまう、というのは「調査あるある」の代表例でもあります。それに基づいて「人々の元号への関心が明らかに」などと調査リリースに書くわけです。

この手の調査のマジックは、政権への支持率調査やオリンピックへの関心度などでも同様に起こっています。「現政権を支持する理由は?」というNHKの世論調査の質問では、支持理由の背景を政策ありきとして政策内容を項目で羅列して質問するのではなく、「他の政党よりマシだと思うから」という100%誘導質問が必ず入っていて、結果、「支持するが支持しないを上回った」などと誤爆をし続けています。

しかも、(世論調査は別ですが)大半のアンケート回答者の動機はポイントや謝礼のためという場合が多いのです。つまり、アンケート内容自体にそれほど関心があるわけではないために、調査実施側の気持ちを推し量り、「影響を及ぼすってことはないけど、質問者がこのタイムリーな選択肢をここに入れてきたということは選択してもらいたいんだろうし、関心がゼロというわけでもないからチェック入れとこう」となります。こうして「自分の生活に深く関わってくるわけではないけれど…」という<前提となる回答者の心の中の気持ち>は置き去りにされ、アンケート実施側にもそれはわからないままとなります。本来ならば、それを炙り出す質問を考えることこそが調査設計者の役割だと思うのですが。

PR業界で一時期大流行したアンケート調査も、最近では下火になっているのかもしれませんが、この「謝礼もらえるから回答してるんだよバイアス」をどうにか対処しない限りは、広報・マーケティング担当者のひとりよがりとなってしまい、今時はリリース出してもちょっと恥ずかしい感じで終了になってしまう案件になるだけでしょう。せめて、人の心の中にある本当の想いを知るのは難しい、大変なことだ、という意識を持って、アンケート調査設計をしていただきたいです。

元号の話に戻りますが、「平成最後」を連呼するようになるまでは、そういえばメディアはやたらと「平成生まれ」や「平成育ち」を小バカにするような論調・表現を展開していました。「平成生まれなの? え~、若いね。でも(どうせ)ゆとり世代でしょう?」など。

しかし、私たちの多くが「もっとも長く時間を過ごした元号の時代は平成である」という事実は忘れてはなりません。それはつまり、59歳以下の人(およそ8,300万人いるので人口の半数は優に超えています)は、昭和よりも平成の方を長く生きているということです。(59歳の人は、昭和の時代を29年しか生きていない上に、幼少期の記憶は曖昧になるので実際の人生の記憶の大半は平成のもの)

そうして気軽に、若い世代の人を上から下に見下すかのごとく、「平成生まれ」「平成育ち」であることを揶揄する中年や高齢者がいますが、あなたが60歳に満たないなら、あなたの人生の半分以上は平成ですよ、と今度からは教えてあげてください。

メディアが現在、「平成最後という終わりの祭り」を展開しているのが、そういうノスタルジックな側面であるならまだわかるのですが、散々平成生まれをバカにするような番組や記事を出し続けておきながら、いざ終わるとなった途端にお祭りにしたがることには辟易してきます。

元日やクリスマスや誕生日と同じはずなのです。その日が過ぎたらまたいつもと変わらない日常が訪れるだけです。4月30日が終わり、5月1日になったらもう新しい元号がスタートしているだけの話で、私たちの生活がその日を境に激変することはありません。影響という意味では、その前後の「10連休」の方が、よほど関心が高いはずです。

PR業界の中にも人(世論、社会全般、一般生活者)を、あるタイミングに便乗して煽ることが大好きな方がいらっしゃって、やたらと「◯◯の日」に便乗したり、記念日を作りたがってそれでPRの成果だと満足する方がいますが、もうそういう手法も時代遅れになりつつあるように感じます。その時だけ煽りまくって瞬間風速が上がっても、あとで虚しさが増すだけですし、実際の成果には実は結びついていないのでもういい加減やめたらどうかと思います。

今この瞬間、平成が終わる直前で、2020年を来年に控えている今こそ、新しい広報・PRのあり方、方法論、存在意義を考える時ではないかと実感していますし、そこは業界全体で真剣に向き合わなければならない課題だと思います。そういうことこそもっと考えなければならないし、同じ考えの人は確実にたくさんいるはずだ、とクラウドPRは考えています。