事実と闘う広報②

広報における事実については、もうひとつ、私たち広報担当者にとってかなりの割合で仕事相手となる「メディア」にとっての事実というものも見てみたいと思います。

例えば、事件を伝えるニュースでは「XX町のショッピングモールで刃物を持った男が突然、中年女性を切りつける傷害事件が起き、現在警察は防犯カメラの映像から容疑者の特定を急いでいます」というようなフレーズをよく耳にします。他にもっと重要なニュースがあるのではないかという感想は置いておいて事件自体は事実なのだとは思いますが、しかし、この手の事件のニュースを耳にする時はいつも、心に何かが引っかかるのです。

防犯カメラなるカメラが防犯のために設置されているのなら、そのような傷害事件をなぜ放置し、防犯してくれなかったのか? すでに事件は起きてしまった以上、この文脈で「防犯」という言葉はかなり不適切だと感じます。そもそもカメラの中からアーム(腕)か何かが出てきて犯人を捕らえるとか、離れた場所から特定の人間に電気ショックを浴びせるとかの機能でもない限り、カメラに防犯行為などとれるはずもないのです。とはいえ今や、街中に限らず店舗や住宅には軒並み、カメラが設置されています。しかしこれらは、その場を撮影して何かを記録し、その映像を誰かがチェックして、何かの証拠映像などとして活用するならばこれは、「監視カメラ」と呼ぶべきでしょう。

実際に「監視カメラ」を扱う会社のホームページを見てみました。

とあるCCDカメラのメーカーでは、製品分類としては「防犯・監視機器」と書かれており、一部に「防犯カメラ」の使用例との記載もありはしますが、多くの製品について「監視カメラ」とあります。別の会社では完全に「監視カメラ」として製品ラインナップを並べていますし、もう1社はWeb検索の結果やホームページのTOPでは防犯カメラとしながらも、階層に分け入っていき具体的な製品説明や設置方法のページが近づくにつれて「屋内用・屋外用カメラ」という表現に変わっていました。すべての会社を見たわけではないので断定も難しいですが、やはりどう考えてもこれらは「監視カメラ」と呼ぶべきか、または防犯カメラと呼ぶべきではないんだと思います。

しかし現在の日本のメディア、特にテレビでは、NHKから民放まで、まずニュースで「監視カメラ」という単語は使いません。「監視」という言葉への過剰反応と自主規制なのです。映像作家の森達也氏の著作で同様の指摘がされているのですが、森氏曰くは、行政や警察が「監視カメラ」というワードを嫌がるからメディアはそれに合わせているのではないか、と指摘しています(この辺りはドラマにもなった小説「64」で描かれた警察の広報官の姿が浮かびます…警察発表の文章自体に「防犯」と書かれているんだから防犯だ、みたいな)。

意味の違う言葉を、あえて違えて使用していては、事実など到底伝えることはできません。特に報道番組では、言葉の表面上だけは「事実を伝えることが私たちの使命です」などとよく言っています。しかし、ニュースにおいては特に、小さな言葉遣いの勘違いが事実を捻じ曲げる例さえあることをよく注視し、広報として、特にニュース性の高い情報を発信する際(プレスリリース作成時など)には、自分の思い込みだけで文章を書くのではなく、間違った用例は広く社会に影響を及ぼす可能性があるとの意識で、言葉遣いには気をつけていかなければならない、とこの例からいつも感じています。